私が開院した理由

話は私が18歳の頃にさかのぼります。

岐阜東高校を卒業後、競輪選手を目指した私は
日本競輪学校(伊豆修善寺)に46回生として入学できました。
そこで私はある人物と出会いました。

彼も競輪選手を目指して入校してきた1人でした。
そして同期、同班、同部屋の親友として1年間の宿舎生活、
いわゆる「同じ釜の飯を食う」生活をしました。

1年後、お互いに無事卒業、と言いたいところですが、
私は卒業記念レースの1走目で落車転倒、左鎖骨を
骨折してしまいました。

しかし、卒業検定後、プロの資格検定後でしたので
無事に競輪選手となり、地元に帰り、
各地に遠征してレースに出走してきました。

選手生活も28年、29年を迎えるころになると「引退」「第二の人生」
の文字が頭をよぎるようになりました。

そんな頃、彼は難病に苦しみ競輪選手を引退して整体を
しているとの話をちょくちょく聞いていました。

たまに連絡は取っていたのですが、直接会う機会が
なかなか取れずに月日が経って行きました。

そして、久しぶりに再会した彼と話をして驚きました!

その彼とは

現在の「からだ快福クラブ北九州」院長の林一郎先生です。

出会った時からやさしくていい人物でしたが、

その何十倍も大きく、魅力的で人を引き付ける人物に
なっていたのです。

「どうしたら彼のように人として成長できるのか?」

「もっと世のため、人のためにお役に立てる第二の人生」

にして生きたいと強く思いました。
 
その答えが「日本回復整体総合学院」に入校して学び
整体師になることだったのです。

学院での講義は私にとって強烈な体験でした。

毎日、魂をわしづかみにされて揺さぶられている感覚でした。

「常に人の気持ちを考え、共感し、痛みや不調で困っている方の

 問題点を1日でも早く解決して喜んでいただく」
 
この思考、精神を徹底的に叩き込まれました。
 
自分の生活圏に住んでいらっしゃる方々の中にも

痛みや体の不調で困っておられる方が大勢いるはずです。

そんな方々に1日でも早く痛みや体の不調から解放されて頂くために

2011年4月「えがお回復整体北方」を開院させて頂きました。


しかし、人生は最後まで学びの毎日です。

今後とも、世のため人のためにお役に立てるように

更なる施術技術の向上、見立ての向上を目指して

努力、精進してまいります。

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